明けまして御目出度うございます
2015年、始まりました。
年末29日に父を成田へ迎えに行きまして、今月10日に今度は送りに行きます。
こちらへ来て、おそらく初めての家族会議を催し、いろいろショッキングな思いもしましたが、大丈夫です。
泣かぬよ!
元旦は調整の為に昼前まで寝過ごしましたが、今朝は、昨夜思い立って早起きをし、日の出の時刻に起きて、そそくさと支度をし、一番近所の神社へお参りに行きました。
ほとんど悩むことなく足が向いたのは、「ついたち参り」の習慣の成せたわざだったのではないかと、今に成って思います。
家族3人は、元旦に学会の本館の方で唱題をして来た模様で、正直なところかなり寂しい思いをしていたので、まさか自分が初詣を神社で実現するとは…あまりにも自然な行動だったので逆に不思議なくらいでした。
帰りの参道で、感極まって涙が出てしまいました。
終わってみると、
さして大した事でもないように思えるのも不思議です。
人ひとりの悩み事なんて、些細なことなんですね。
でも本人にはとっても重大な出来事なんです。
普段お参りに行く時は、空(くう)に向かっている感じがしたんですが、
今日立った感じは、なんか、雄々しいというか猛々しいというか、大きな感じというか、質量ある気配みたいなものを確かに感じた気がします。
視られているというか、とにかくしっかり頭を下げて、心を真っ直ぐに置かないと持って行かれそうな、感じが、して。
とにかく、きっと、初詣の時節だから、神様がご多忙な中寄って頂けたのだと思うようにします。
早朝でまだ静かな町の中を初詣参拝が行えて、本当に有難い機会でした。
祀られている御祭神様が、清々しいの由来の御柱様ですので、あの様な厳粛な空気を感じたような気がしたのかもしれません。
初めての初詣、入り方がいまいち身に入っておらず、1の鳥居の垂れ縄飾り?に頭を擦ってしまったのが悔やまれます。
来年は礼儀を尽くした、神様に見苦しくない参拝をしたいなと思いました。
あれは、お辞儀をして頭を低くする為にわざわざあの様な形なんですね。
神道の行儀ってすごい。
まじすごい。
感動しました。
感動しました。
単に信仰の問題かもしれませんが、
神様の気配は御わする(?)と、確信せざるを得ないような、ありがたい機会でした。本当です。
これが畏怖。