水中歌

Once I heard the voice in the water by myself

初詣願望

家の中では、学会に参加しない人は落ち目です。
母から改めて口に出して(間接的にだけど想いはわかる)言われると寂しいです。

でも!
私は納得できない。
から、これでいい。
家族が皆、お前が間違ってる的な気持ちで見てるっていうのは辛い。
でも、これが私の決定でしょ?
私の素直な心だから。
理由なんてそれだけだから。
これが本音だから。
それ以下でもないから。




初詣に、もし夢を見れたら、父を誘って行ってみようかと思ってたけど、
たぶん無理なんだ。
寂しいなぁー。
「couldn't keep it
hevean knows I tried」
どうしようもないんだ。
これが現実なんだ。
私の意志はここにある。

頼みにしていた氏神神社は今年は初詣飾りしてないし、
寂しいなぁ。

ロンリー

無性にさみしい…

人とベタベタするのが好きなら、

おそらく簡単に恋人もできて、

おそらく単純に結婚を考えて、

おそらく自然に子どもを持って、

おそらく順当に老いて、

っていう道を辿るのだろうな。


四六時中人と一緒に居るなんて絶対耐えられないよ。

誰か理解してそっとしといてくれる察しの良い人は居ないだろうか…

なんて手前勝手なこと考えてる限り私は独りさ。


好きになっても、

結婚したいと思える人じゃないと、

感情にブレーキかけてしまうのが私だ。


そういうもんなのだろう。


父があと3日で帰って来るけど、

正直なところ早く一人暮らししたいなぁ。

炊事洗濯ゴミ出し全部できるし。

ご近所さんに愛想良く振る舞うこともできるし。

親元だと、何をするにも親の目が気になってしまうものですよね。

背伸びしようとすると、過干渉してくる母がなんやかんや言ってくる。


今夜は少しロマンチックで慰みのある音楽を聞きながら眠ることにします。

ツイッタの方

ツイッタの方をなんとかしないととずっと思っていました。


ツイッタで知り合った人も居て、その中には時々会ってみたい人も居て。

だから、退会はしない。

けれど、昨年度の様に中毒に成るほど入り浸るのは絶対避けたい。


ひとつは、完全にパソコンから接続すると決めてしまうこと、だと考えている。

iPhoneで繋げない気持ちにしてれば、

少なくともムダなことに心を掻き乱される心配はない。

開けば飛び込んでくる劣悪な環境を、時間や日を決めて開くようにすれば、何より心構えが出来る。


問題は、少しばかり寂しいからと言って、構って欲しいためだけにツイートするように頽落してしまうこと。


その解決は、テーマを潔く決めてしまうことだと思う。

テーマを決めてしまって、そのテーマ以外のことはツイートしないと硬く決めてしまう。

フォローする人は、無差別にフォロー返ししない。


今まで無差別にツイートしていたものを、改めて、戒める。

それしかない。




斉一性で量れないもの

f:id:inawaterme:20141220192540j:plain

 

出身大学が出している哲学講座の本を、まともに読み返してみています。

若干ピントをずらしてはありますが大学名明らかですね。

黒線で囲ってある部分は、主査でお世話になった先生の部分です。

 

こういうものが出ているというのを入学してオリエンテーションの時に教えられ、正直「えっ」って思ったのは、「哲学」はそもそも「宗教的なもの」に親和なものじゃないのかという想いがあったからです。

こんな、カワイイ靴や服を買うのと同等に、本にしてセールするんかい、と・・・。

 

とはいえ、精神的なものの探求のために金を払ってもそこへ入りたいと思ったのは私でした。

そして、決して金をとって提供するようなものではないと知りつつも(決定権は上にあるのでしょうけれど)、ガッツリ金をとって売ったのは大学側でした。

まぁ、今の世の中のひとつの病気のようなものだと思ってます。

 

こうした矛盾の上に鎮座する、哲学の営みの結晶ですが、

すごく勉強になります。

N先生は、私が懐いていた副査の先生が、卒論のテーマを見て引き渡した先生です。

でも、3年の時が経って、読んでみて、気が付いたことがあります。

N先生は、というかN先生の志は、なんだかとっても親しみを覚えるなということがひとつ。

大学院の授業を何回か見学させて貰った記憶があるんですが、どういった経緯だったか・・・でも、私のためになればと思って許可して下さったのかな、とか。

「実存」、キルケゴールをめぐる主体性のこと、真理のこと、クリスチャンの清廉さがまるで残り香のようにいつも薫る場で、S会二世の私は、いつも畏れ慄いていたなと、今思います。

同時にそういった雰囲気というか、存在性というか、空気というか、そういったものに手が届かない寂しさを感じていました。

育った家庭環境が違うのだから、当然だけれど、でも、この本を読んでいて思うのは、志は、方向性というか求めるものは、私も似ていたのだなと。

同じところも結講あったじゃないかと。

卒業論文を、選んで下さった理由を、聞いてみたかったけれど、今は推測するしかできない。

たぶん、そのキルケゴールの実存的真実、主体性を通して生きる、という人生における真剣さが、私自身の苦しさと共鳴して、でしょうか。

 

キルケゴールの用語まとめが、とても胸に響きます。

体系論は、ぜひ身につけたい。

もう少し頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

自分の意志

初めて自民以外の党に入れました。

兄が、帰宅早々巫山戯たテンションで「投票行ったっ?」と聞いて来るので、この時ばかりは腹が立って仕方なかった。

選挙に成ると急に食事に誘ったり連絡が来たり、という創価学会員そのものだなぁと、頭に来ます。

お前は人を選挙の道具にしか見れんのか!っていう腹立たしさです。

人は人柄とか、仕草とかさ、そういうのが目的じゃないの。

これこそが私が嫌う体質です。

年甲斐もなく「うぜぇ!」なんて言葉で兄にカウンター食らわせてしまったけれど、しょうがない。こればっかりはしょうがない。

うぜぇなんて、子どもか…私は。



TVでは、池上さんがそのものズバリを公明党創価学会に尋ねる場面があり、私の立場としては痛快の極みでした。

TVではほとんどの局が誤魔化したり湾曲的にしか触れない部分だっただけに。

視聴者の現実に降りて来てくれた、そんな目線を感じました。

嬉しかった。

池上さんが良い人に思えた。


Let it goの英語歌詞が今更よくわかる。

そんな師走の一幕。

それでも恥ではない

ひっさしぶりに更新します。

空白の期間中、取り立てて事件もなく、ひたすら家と部屋と庭の掃除整理整頓に明け暮れていました。


要らないもの

本当にとって置きたいもの


取捨選択。


随分持ち物が軽くなりました。


サブカルチャーの類をダーンッと売り払い、大学の重要な講義録を良い帳面に清書し直し、何年も部屋の量増しに成り果てていた筆記用具やガラクタの類を廃棄し、使っていない家具を売り払い、化粧道具も見直し、大学の講義録に基づいて本棚の本を精選し並べ。


またそうする中で、自分の人生に欲するもの、捨てるべきもの、よく視えて来たように思います。

逆に言えば、これまで、どれだけ自分の本意でないものに呑まれて生きてきたのか、視えて来ました。


「(倫理的)内面性の欠如」

=「ナンセンス・オカシイ、と思うところが無い」

=その場の雰囲気ムードに呑まれている


このことを講義録で振り返るにつけ、

戒めになることを願います。




相変わらず仕事しないプー太郎ですが、

そもそも興味あることをマニアックに研究すること、自然の美に際して好きなだけ表現すること、が小さい頃私の好きなことだったので、自分に後ろ暗いところはありません。

恥とは思いません。


ただ、働かないと暮らしていけない。

こ  こ  なんですよね!

ただムードに流されてくだらない消費の為に労働するなんてナンセンスの極み。

私の人生、学問と探究の中に、真の目的がある。

如何に、どれだけ、そこを実現していけるか?

それが問題。

そこを基準に仕事を選ぶこと。

やっと本当の問題が見えて来た。

1番良いのはそういった研究的な職業に就くことだけど、そうそうウマイ話は無い。

表現する職業にも適性はあるはずだけど、なかなかピンと来るものは無い。

イメージだけで企業を選ぶのも過ちの素。


表面的な刺激に惑わされがちだけど本当に自分が労働したい場所を見つけなければいけない。


一先ずは、これにて。

大河ドラマ 新選組!

全49回を、今見終わりました。

心に残る、一本でした。

歴史を、学ぶこと。

それが、今に生まれた、私の、為すべき事。

そう感じます。

今の世が成り立つまでに、

幾千の命が熱く輝き、

また散っていったのだということ。

 

歴史が、一番苦手な教科でしたが、

今では一番好きな分野です。

 

私にとって、新選組は、

己の心に偽りなく生きる、

その誠の心を教えてくれているように思います。

教科書でも、あまり詳しく載っていない新選組

勝者が歴史を作るという世の理からすれば当たり前ですが、

資料の端々から垣間見る、等身大の人間らしさが、

かえって私のような人間にはとても身近に感じられるような気がするのです。

 

惜しいのは、局長を死に追いやった直接の団体の

関係者に、私の今の姓の者がいたということ・・・。

ご先祖様が、新選組と敵対していたかもしれないというのは、

49回も(一回の尺が45分)見てきてどっぷり感情移入していた私にはかなりショックでした。

結婚するなら、是非ともあまり関係ない姓の人がいいなぁ・・・なんて取らぬ狸の皮算用ですが。

 

実際に生きて、時代を駆け抜けた先人。

歴史を学ぶというのは、

私にとって、生き方を学ぶような真剣さのあることだと感じています。

 

誠の心。

口に出して人に言えないような小っ恥ずかしい信念かもしれませんが、

このドラマを見て来て、本当によかったです。

また、他のいろいろな角度からも、

新選組を追っていきたい気持ちです。

幕末の混迷のさなか、

正しいことは何か?

正しいことをしているのか?

何をすべきなのか?

真剣に考え生きた青年たち。

その彼らの命の軌跡が、

真実だなぁと、

深く感じ入る次第です。

 

 

余談ですが、山南さんの回は、私も号泣してしまいました・・・。

源さんの回も局長の回もそこまで泣かなかったのに、

山南さん・・・

やはり愛が絡んでくると女性の心は動くってことでしょうかね。

堺雅人さんの大河ドラマ、ちょっと見てみようかなという気がしています。

 

 

 

新選組の皆さんのご冥福を、

100有余年後世から、お祈りいたします。

こうして同じ国に生まれて来れたことを、

心から感謝します。

 

 

個人的には劇中のオダギリさん演じる斎藤一がものすごく好きです。

史実でも、なかなかに謎の多い人物だったということですが、

はじめ

の字を持っていたかぎり、

とにかく素直で、誠実で、頑張り屋だったのではないかなと、なんとなくそんな気がします。

近藤勇土方歳三沖田総司山南敬助永倉新八、・・・

こうして見てみると、名前に数字が入っている人が結講いて、

後に藤田五郎に変わっていることからも、

自分の居た隊のことを大切に想っていることがすごく伝わってくる。

というか、葬いに身を捧げる様な人・・・。

実際の写真が、ピンボケした晩年の家族写真だけだったのは、残念でならない。

ふさふさ眉毛に鋭い眼光・・・

 

いいなぁ、

斉藤さんのお嫁さん。笑

 

でも、一人だけ生き延びてしまって、

ひどく悲しみもしたんだろうな・・・。

何のために、生き延びたのか、

何をすべきか、たくさん悩んだりもしたのではないかなぁ・・・。

 

私も、この時代に生まれて・・・

精一杯悩んで、決めることに、怖がってばかりいられないのだ。

選んだ先が、どこにたどり着くのかは、やっぱり、

誰にも、わからないのだ。

だからこそ、誠の心。

 

よーしゃ寝るぞ。