水中歌

Once I heard the voice in the water by myself

やる気の出なさ 虚しさ

やる気ってどうやって出すんだっけ?

 

創価学会への非難のブログを読んでいると、いろんな方のコメントが付いていて、やっぱり、仕方ないけど、凹むよなぁ・・・。

身内がまさしくおんなじようなことして、おんなじような事言って、おんなじようなパターンで動いているから、尚更・・・。

母が支部活やら芸術部やらなんやら・・・やれ山本/リ/ンダに合った久本を見ただの嬉しそうに語るのに付き合って、私は話を聞いてあげるけど、

内心やれ悲しいやら、寂しいやら、虚しいやら。

慈悲と謳っておきながら喧嘩中の身内に対する仕打ちがひどい。

世界平和だのほざいておきながら、その一番小さい縮図である家庭が機能していない。

 

弱いことはいけないことで、見捨てられるべきことで、

どんな時でも人に認められるように努力しないといけなくて、

評価されないと生きる価値が無くて、

評価されるために頑張って、

 

でも、等身大の自分だって、信じてあげられなくて、

オンボロだから、繊細だから、傾いてるから、それ自体否定され続けて、

否定されてきて、否定してたら、私だってS会の害悪に負けてしまう。

人の世の子として、何が一番いけないか?

人の不幸を願い、小さく弱い者を虐げる心がいけない。

 

それは、私が、小さくて弱い自分自身を虐げて来たから。

生まれ育ちのせいにすることは犬でもできる。

人のせいにしている限り、人でなくても、何かのせいにしている限り、

自分自身の心の成長は起こらない。

泥の中にあっても咲くのが、美しさじゃないか。

弱い、霜にあたった新芽の様な心でも、

見事な牡丹の花に見比べもできないほど惨めな姿でも、

生きてるんだ。

 

小さく弱い者を虐げる心がいけない。

私が自分で自分のありのままを、大事にできない内は、

何をやったってだめ。

自分の外側に力を求めても、だめ。

 

このブログについて

 

こんな自己満足のブログに、お越しいただいている方がちらほらいらっしゃるようで・・・

以前挨拶をした記事は投稿失敗だったので、直接断りを入れるのは、初めてかもしれません・・・?

話半分がちょうどいい、何の足しにもならない記事ばかり投稿していますが、気の向いたときにでもどうぞお立ち寄りください。^^

ただし、反応を気にして私自身書きたいことを書けなくなってしまうと本末転倒なので、リアクションは基本的には控えさせていただきます・・・。

 

このブログは、エノモトの、エノモトによる、エノモトのための、自身の感情&思考の整理帳です。

オンで人に見せられない内側のことを、完全に外面と切り離した意識で書いているので、色々目眩を覚えるようなカオスさが並ぶかもしれません。

読んだ事で気分を悪くされても、お構いできませんので予めご理解頂けると幸いです。

 

 

顔色を伺うのは良くない癖

職業偏差値診断をしたら、「お祭りタイプ」でした。

なかなか不名誉なレッテルで、とりあえず詳細を読んでみると、

「行動基準が、周りにどう思われるか」がこのタイプの特徴ということでした。

さしずめ上にへつらい下に横柄に、あっちでyesと言いこっちでnoと言い…

というカメレオンの感じでしょうか。

ころころ意見の変わる信用できないやつ、というか。

ただ、診断自体は素の私、限りなくオフの私なので、まぁ無理もない。

 

ここのところ、自分の家の宗教について思いを巡らせる時間が多い。

信仰は自由。

己の志を守って、高潔であればいい。

そうなんです。

そこでしかないんですよ。

 

だから、この「お祭りタイプ」が「理知性」を高める努力をしていくと、

ぐんぐん偏差値が上がってく。

三つ子の魂百まで。

刷り込まれた関係性の築き方はもはや矯正していくしかない。

もう私は、周りの目を気にして自分を殺さなくてもいい。

たまたま選んだ職場が、自己を抑えるようにと、上には服従しなさいというメッセージを与えるところだっただけで、

良心からの発言、行動だったなら、泣くことはないんだ。

ここは私の泣き所。

でも、正しいと感じたことを、表現して、叩かれても、

自分を信じなければ。

 

ありのままで、というのが、私はひどく反発心を覚えていたけれど、

結局それって、自分がありのままに成る勇気が無かったせいなんじゃ

ないだろうか?

お話では、エルサは、その後ひどく寛容な国民に受け入れてもらうことができたけれど、

本来なら、WICKEDのエルファバよろしく、悪の女王として、

一人孤高にこれからの人生を歩むべきだったんじゃないかって思う。

夢のない話だけれど、実際問題エルサは、あの氷の城で暮らしたら、食料が無いからすぐに餓死するか、使い魔を走らせて略奪でも行わなければいけない状況だ。

あれは、つまり、アナという優しい妹との間にすでに絆があって、エルサは無意識で

彼女がきっと助けてくれるはずという甘えがあったんだ。

王女様だし。

衣食住の不足を心配する環境にはなかったわけだし。

 

現実には、

「ありのままで」生きるには、

まず経済的に自立していなければならない。

(この日本で)経済的に自立するには、まず大前提として、戸籍があること、

保証人があること、そして学歴があること、さらには能力があること、

などが求められる。

何か自分の意見や思想を持ち、それを発言するということは、

そもそもそういった社会的自立性が認められて始めて効力を発揮する。

だけど、そうした「ありのままで」生きることには、

「社会に反しない範囲で」、という制約も付け加えられている。

経済的に自立する=思想についての自由な発言権を得る

経済的に自立する=社会に反しない範囲で

という構図が成り立つ時、同時に

思想についての自由な発言権を得る=社会に反しない範囲で

という構図も成り立ってしまう。

 

つまり、結局は、どこからお金(ご飯)を貰ってるか、ということが重要なポイントになっているのだ。

幸い、今の日本社会は、そんな馬鹿みたいに人道的でない制約があるということではなくて、

それなりに人権が認められていて、わりかし自由を感じることができる。

ただ働いて、ある程度は自由に生きることができるはず。

 

だから、私にとっての「ありのままで」は、あくまでも、

家族からの開放

という図式になるのだろう。

家族からの開放=S会で刷り込まれた良くない精神との決別

かな。

これは同時にやって来る。

どちらが先ということはない。

この、「一般的にどう思われるか」「周りがそれについて好意的か」で

反応を変える、顔色を伺う、というのは、本当に私の良くないクセだ。

今までは、行きずりの他人からのリフレクションが良い物だっただけに、

本当に気づくことができたのが、遅かった。

だって、私が、少し嘘をついたり、周りに合わせておけば、

相手が笑顔になっていたのだから、

悪いことだと思う由もない。

誰もそれが悪いことだと言わなかったのだから、

気づきようもない。

 

 

TVのワイドショーで、周囲の意見に迎合して当たり障り無い発言をするんでなくて、

真実の言葉で自分の意見をとつとつと語る武田鉄矢さんに感動した。

感銘を受けたと言ってもいい。はっとさせられた。


ここ数日あの場面が心に残ってたんだけど、

眠れないで暗い部屋で音楽を聴いていたらふと気がついた。

周りから浮かない様に自分を押し殺してた自分が、大人になって、周りの意見に関わらず自分の心の言葉で発言する価値を知ってるということに気がついてること。

私が目指すべき姿なんだということ。

真実は光って感じられた。実際に。


真実は自分の心にある。

周りの人に惑わされず、一切の考慮を差し挟まず、

そのまま発言する。

それは真実で、

何らかの示唆や道標を指し示している。



本心は知っている

HSPということについて。

 

私は、超柔軟で、その場の環境にすぐに染まってしまい、

場に流され、帰宅して、後悔することが多く、

そんな自分が嫌いだ。

だから気心知れた友人や家族以外との外出はあまり積極的になりたくない。

色抜きの和紙の欠片のように、

浸す水色次第で赤にも緑にも黄色にも成る。

 

自分が色として掴めないというのは心許無い気持ちである。

ある人にはオレンジ、ある人にはブルーと言われ、

私自身も自分が時に白であり、時に黒であると感じられ、

「存在する」とは言い切れないように気持ちになることもある。

生命哲学では、「存在する」ものは「精神」のみで、

あらゆるものは「変化する」という。

だから、私なんて、一個人として「存在する」方向に、

世界はできていないのかも、と思ったりもする。

あらゆるものは変化する。

心も、変わり続ける。

だから、「存在する必要がある」と思っていることは、

勘違いで、「何故存在する必要があると思っているのか」と問いかけなければいけない。

 

生きるために生きるのか?

生かされているから生きるのか?

義務感のために生きるのか?

楽しみを求めて生きるのか?

新たな経験のために生きるのか?

 

一日中横になっていても、

お腹はすくし、呼吸は続くし、

とりあえずは、生きているから生きなければいけないと思う。

世の人々は、皆励まし合ってなんとか日々を繋いでいる。

でも、死んでしまう人たちもいる。

誰が、好き好んで突きつけられた義務のためだけにそれをしようと思える?

人の為に、世のために、お洒落のために、良い暮らしをするために、

そんなものの為に?

そんな幻想のために命を使う。

はたから、無駄だと思っているもののためになんて生きていけるはずがない。

無い方が良いとさえ感じていたもののためになんてわざわざ動けるはずがない。

 

こんな時、境界の脆さは混乱と低迷を連れてくる。

無駄だと感じているものがなければ生きていけないと主張する人々が

周りにいると、

それを強く否定することができない。

 

この弱さ。

 

流されているだけで、

基本的に人は信用できない。

人間不信。

軽薄さは何よりも憎むべきしろもの。

 

何に拠り生きるのか。

義務教育は、好きなことのためにではなく仕事をするために施されたのだと大人は言う。

無駄で、無い方が良いようなクズの仕事を活かすためだけに今まで育まれて来たのか?

世の中の若者は、少なからずそう思っている。

無駄なことじゃなく、有意義なことをしたい。

生きているって素晴らしいと思える、有意義なことをしたい。

 

苦労して稼いだ金で、クズみたいな消費をするのか?

では何のために生きているのか?

それを見つける為に生き延びていくのだとしても。

何に拠って生きるのかが根本的な問題だ。

血を吐き汗を流して労働して、その対価でクズみたいな消費をするのか?

クズのために血を吐くのか?

お前は何に拠って生きるのか?

生き延びるために労働するというのならば、

死によって否定される生の時間は根本的に悲劇でしかない。

生の時間がただ猶予であるためには、

内にある精神性の光に照らされていなければならない。

内にある精神性の光に触れ、それに拠って生きなければならない。

 

 

叔母さんの病状が良くないらしい。

私たち以外に子どもが生まれなかったから、少ない親戚の中で、叔母さんは結構存在が大きいと思う。

リスクの高い手術…でもしなきゃ余計悪くなるかもしれない。

どうなるんだろう。


明日は私の運転で急遽町田へ行くことになった。

2時間以上かかる道のりは、以前益子へドライブに行ったのを後に、もう暫く行ってない。

親も乗せてくから、安全第一で安全ルートを行こう。



映画黒執事を再び観た。

原作ファンからフルボッコにされて可哀相な感じのこのフィルムは、私としては結構好き。

結構好きで、何回も観てしまう。

確かに原作の毒気が抜けて、優香さんの演技以外若干マイルドな気がしたけど、

マイルドカレーでもおいしい。

ツヤツヤで甘そうなパプリカだと思ってかじったら、うっそまじでハバネロだったってくらい優香さんの演技がすごかった…。

あと音楽がすごいハイクオリティだったのは、音楽好きだっていうヒロさんの味付けなんでしょうか。

絢香さんの作詞作曲した歌もすごい何度でも聴いてしまう。


これきっと、みんな原作のエンタメ感を期待して観に来るから失望するだけで、

全くの無印作品だったら話題作になりそう。

ゲド戦記的な物悲しさがある。

たぶんそこが原作ファンは嫌いなんだろうけど。

私は好きよ。

込める感情が深すぎて、一般の人には伝わりにくいだけなんだ。

こんなに擁護するのは、奥さんの名前のせいもあるかな…。


あぁ、さみし。

旦那さんが居るっていいなぁ。


怠け~

昨夜遅くからyoutubeでアウトラストの実況を観ていたせいで、今日は一日潰しました。

情けない・・・!

見始めると、なかなか普段やらないようなホラー系のゲームだもんで、

見入ってしまって・・・

胃もたれと集中視野の酷使で若干吐き気がしながら、

結局、中盤ぐらいからEDまで観ました。

3時すぎまでかかりました。

2時になったらオバケが怖いので一旦辞めようと思ったんだけれど、

誘惑に負けてしまった・・・。

オバケには会いませんでした。

見えないだけかもしれないけれど。

 

 

それはそうと、

叔母さんからメールが返って来た。

脊髄の病気も併発して、手術をするかしないかのタイミングだったらしく、

はっきりとは書いてなかったけれど、

来るタイミングを少し送らせてほしい、という趣旨だったと思う。

なんというか、内容が内容だから、返信内容に躊躇いがある。

私の心のタイミングが、今少しブレている為、

明日の朝、リセットした状態で、返信しようと思う。

 

しかしまぁ、

今日はそんなんで起きたのがまずゴミ出しの為に8時だったけれど、

その後すぐに二度寝して、起きたのが1時。

そこからうだうだして、

ちょろっとショッピングモールに気分転換に行って、

帰ってきてアニメ黒執事を観て、

ご飯食べて、

今。

・・・という、本当に一日何もしなかった。

夜中にあんな精神状態最悪なゲーム動画を観ていたのがほんとうにいけなかった。

もう金輪際、しない!ぞ!

たぶんしないぞ・・・

 

明日はそういうわけで、まず叔母さんに返信、

それから企業研究。

もう、そろそろ新しい服が買えないことが侘しく感じられて来た。

可愛い新作のコートやブーツがねぇ、

ショーウィンドウに飾ってあって、

もう、寂しいよ。

美味しそうなケーキとか、

パンプキンタルトとか、

指くわえて見てるだけなんて。

節制はできるけれど、

贅沢なぐらいでも、

それで笑顔なら、

きっと神様もこれでいいやって思うんじゃないかな。

清貧とはいえ、

あるもの、生まれてくるものを無理に拒む必要はないはず。