水中歌

Once I heard the voice in the water by myself

気持ちの生き物なんだなぁとつくづく思う。

昔から、気の持ちよう、なんて言うし。



明日は、高校の時の顧問に誘われて渋谷の舞台を観てきます。

…おごりだとイイなぁ…大人として一応自分の分払うつもりでいるけど。

定年退職されて、お金は有り余ってるだろうから、ここは太っ腹なところを見せて頂きたいところ!

卑しいな…!


しかし、芸術や美術の道に進まれる方って、独身が多いような気がする。

拘りが強いのかな?

それとも子どもが欲しくないのかな?

私は子どもが欲しい。

好きな人との間にできた子どもなら、どんな子でもきっと育て上げられる。

それに、料理作るのが好きだから、やっぱり食べてくれる人が居るとイイなぁと思う。

でもな。

ベタベタするのが好きじゃないって、結構面倒くさい人間な気がする。

相手がずっと一緒に居たいと思ってると、私はずっと人と一緒だなんて耐えられないだろうから、きっと寂しい想いをさせてしまう。

私の事を慕ってくれる人には、近づかれた瞬間に一歩引いてしまうから、傷つけてしまう。

その人のことを嫌いなわけじゃないんだけれど、引いてしまって、嫌われてると勘違いさせてしまう。

そしてそれを上手く言えない。

相手の心が読めるし、言うべきこともわかってるはず。

でも口が動かない。

こういうのを口下手と言う。

後日手紙で伝えられたらなぁと思う。

手紙ならきっと正しく伝えられる。

でも、ほんとに、上手く弁明するようにしなきゃ、私も寂しいし。

せっかく慕ってくれる人ができても、自分から離れるきっかけを作ってしまうなんて。


明日は、あいにくの雨模様らしいけれど、ふた周り程年の離れたハンサムマンと劇を観に行ってきます。

放課後人生相談に乗って貰ってたあの頃と、ほとんど変わってないから呆れられるかな?

愛想笑いと社交辞令と社会常識が加算されただけの、あの頃と同じ成り損ないスナフキン

本当は、辛かった時のことを思い出させるから、若干気が進まないんだけれど。

このタイミングだと、おそらく縁なんだろう。

苦しかった時の私を思い出して、ちゃんと見なければいけない。

本当に苦しむ様なことだったのか。

何に苦しんでたのか。

今ならその時の状況に、言ってやれる事がないかどうか。




このブログでは、素直に告白しようと決めてるから告白するけれど、

私は、自分の気持ちが出せ無くて、いつも笑ってる、自分が何処にも居ない人だった。

今思えば、そんなに押し殺すことなんてなかった。

好きだと思ったら好きだと話せば良かった。

したいことがあったらすれば良かった。

聞きたいことも沢山あったのに、聞くことができなかった。

ただ、自分を押し殺してその場で正しいとされている行動や態度をとることだけだった。

イジメや仲間はずれには絶対成ってはいけなかったから、とりあえず表面だけ合わせてグループに入っていたけど。

いつも笑ってる、自分の意見を話さない、人畜無害な良い人だった。

だから自分が何処にも居なかった。


そう。

明日はその頃の私を知ってくれてる人に会うんだ。

恐いのは、自分を出すように成った私を否定されること。

あの頃の人畜無害な(都合の良い)人の私を求められること。


でも、そんなに頭の悪い人じゃない。

とても聡明で、気高い人だから、きっと成長だと感心してくれるはず。

だから私は、今の私のままで会いに行きたい。

あの頃の空虚な私じゃなくて、

いや、あの頃の空虚な私を統合したい。

そしたらまた、私の心は取り戻す。

あの頃の空虚な私を統合しに行こう。

おそらくあの人が連れてくる。

あの、何処にも居なかった、

心細いと泣いて夜を明かした、

黒い影にも襲われた、最悪の精神状態だった、

寒くて痛くて苦しかったあの子。


思い出されて、暗い悲しい苦しい辛い気持ちが感じられて来るから、

まだ浮かばれてないんだよ。


人は気持ちのいきもの。

科学や理屈で生きてない。

明日、会いに行く。

愛に行く。