水中歌

Once I heard the voice in the water by myself

心の奥を覗いてごらん

落っこちやしないから、さあどうぞ。


自分の心を見つめているつもりでも、流されていて全く無意味な1日を過ごしてしまう。

恐怖から逃げているのかもしれない。



改めて、ハロワの就職活動のハウツーというものに目を通してみたが、実際に求人を探すのはstep3であり、step1、step2がお粗末だった私が気休め程度の浅さで探していたタウンワークやフロムエーナビなどに費やした時間は無駄だったのではないかと、悲しくなった。

とはいえ、私は病的に世の中のことを信用できなくなってたようだから、仕方のないことだと思いたい。

だって物心着いた頃から参加していたものが、とても温かくて懐かしい思い出が詰まった記憶の舞台が、社会的に良く無いものとされてたなんて、それはショックでしょう。

確かに、S会は、問題の多い団体。

でも、その全てを否定し切れないのが、2世として生きて来た私の気持ち。


大きなショックは、地味でもじわじわショックのまま。

私の世界を包もうとする全体性についての不信感は、そこからきっと来ている。

ミスチルの、フェイクという曲は、端的にそういった感覚を表していると思う。

こういった背景を歌ったものではないと思うけど。


過去を、無かったことにはできない。

忘れてしまっても、過去は無かったことにはできない。

だから、忘れちゃいけない。

忘れた方が気分が良いっていうものでもない。

忘れると同じ過ちを繰り返してしまう。


でも心の許容量はそんなに大きくない。

現実が手に余る時は忘れてしまうし、麻痺していると忘れてしまったことすら忘れてしまう。


それでも、

悲しくて悔しくてどうしようもなくてただただ感情を押さえ込んで我慢し続けていたあの時の私はあの時に生きている。

今でも、ふとした時に、今みたいに、ふっと心の井戸の奥底の記憶体が再生されて身に甦ってくる。

あの時流せなかった涙。

あの時できなかった逃亡。

あの時言えなかった拒絶。


今は、自分の意思を表せるよ。

嫌なことは嫌だって言えるよ。

それで生意気だって言われても、言いたいことを言えるんだ。

思ったまま感じたままの言葉で、人と話すこともできつつある。

たまに言葉が足りなくて、誤解されて怒らせてしまうこともあるけど。

ただ周りに合わせて、危険じゃないように空気を読んで、したくないことをしなくて済む。

ちょっとくらいリスキーでも、自分の言葉や行動、表情に心が伴ってるってすごく凄い、素晴らしいことだよ。

そのまま受け取ってもらえるってことは、時にすごく怖いけど、それでも自分が何処にも居ないよりすごく凄い、素晴らしいことだ。