やる気の出なさ 虚しさ
やる気ってどうやって出すんだっけ?
創価学会への非難のブログを読んでいると、いろんな方のコメントが付いていて、やっぱり、仕方ないけど、凹むよなぁ・・・。
身内がまさしくおんなじようなことして、おんなじような事言って、おんなじようなパターンで動いているから、尚更・・・。
母が支部活やら芸術部やらなんやら・・・やれ山本/リ/ンダに合った久本を見ただの嬉しそうに語るのに付き合って、私は話を聞いてあげるけど、
内心やれ悲しいやら、寂しいやら、虚しいやら。
慈悲と謳っておきながら喧嘩中の身内に対する仕打ちがひどい。
世界平和だのほざいておきながら、その一番小さい縮図である家庭が機能していない。
弱いことはいけないことで、見捨てられるべきことで、
どんな時でも人に認められるように努力しないといけなくて、
評価されないと生きる価値が無くて、
評価されるために頑張って、
でも、等身大の自分だって、信じてあげられなくて、
オンボロだから、繊細だから、傾いてるから、それ自体否定され続けて、
否定されてきて、否定してたら、私だってS会の害悪に負けてしまう。
人の世の子として、何が一番いけないか?
人の不幸を願い、小さく弱い者を虐げる心がいけない。
それは、私が、小さくて弱い自分自身を虐げて来たから。
生まれ育ちのせいにすることは犬でもできる。
人のせいにしている限り、人でなくても、何かのせいにしている限り、
自分自身の心の成長は起こらない。
泥の中にあっても咲くのが、美しさじゃないか。
弱い、霜にあたった新芽の様な心でも、
見事な牡丹の花に見比べもできないほど惨めな姿でも、
生きてるんだ。
小さく弱い者を虐げる心がいけない。
私が自分で自分のありのままを、大事にできない内は、
何をやったってだめ。
自分の外側に力を求めても、だめ。